最後に,本題とは少し外れますが「現実と虚構の区別がつかない人ほど社交性が高い」と言う指摘があります.
正しい判断力のある人間よりも、判断力のない人間の方が社交性が高い――。これは、メディアによる人間への影響を調査した結果と一致する。坂元章らによる「青少年と放送に関する調査研究報告書」(2002)によると、現実と虚構の区別がつかない人ほど社交性が高いという分析結果が出ている。ただしここでいう虚構とはテレビのことを指し、テレビゲームは含まない。テレビの影響を調べた結果、現実と区別のついていないほど社交性が高いことがわかった。テレビゲームの場合、現実と虚構の区別が出来るかどうかと社交性との間に関係はなかった。
・・・(中略)・・・
よくゲームにハマっていてコミュニケーション能力に欠ける人間に対し、「現実と虚構の区別がつかず云々」という批判がある。それに対して、言われた当人は、「現実と虚構の区別ぐらいついている!」と反論する。この反論は正しいし、おそらくゲームが現実ではないことぐらい知っているだろう。
本当の問題の根源は、「現実と虚構の区別がついていない」ことではなく、接触している「虚構」の側にある。現実と虚構の区別がついていなくても、虚構がその社会にとってふさわしいものであれば、問題ではない。例えば虚構が家族愛などを強調するテレビドラマであれば、現実と虚構の区別はついていないほうが良い。たとえ虚構であっても、多くの人が支持すれば、それは結果的にリアルである。
現実と虚構の区別は、出来すぎてしまうと困りものなのだ。冷静に現実と虚構を区別してもいけない。人は適度にメディアから欲望や価値観をコピーしないといけない。そうしなければ、周囲から取り残されてしまう。確固とした価値観や理念を持つことは、社交性の低下につながる。
現実と虚構の区別は出来きすぎてはいけない
人々は,多かれ少なかれドラマや映画と言った「寓話」から価値観や行動パターンをコピーして生きています.そのため,ある程度は寓話でもあってもリアルなお話として楽しめる人の方が,結果的に社交性が高くなる傾向があるようです.程度の問題もありますし「社交性が全てではない」と言う話もありますが,「踊る阿呆に見る阿呆,同じ阿呆なら踊らな損々」のような感じである程度は「寓話」にも感銘を受けられる事が必要とされるようです.